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    第2話:富豪のお仕事

    Joseph Turnerの絵画。X
    ターナーの風景画。David MarkによるPixabayからの画像 。

    新しい仕事はすぐに終わった。
    半年前、キンジーは調査費の名目で従兄 Dace デイスから遺産を譲り受けたので、興味の湧く仕事だけを選んでする、という贅沢もできるのだが、地道にコツコツ仕事をする習慣はそう簡単には変えられない。どんな仕事でもきちんとすることが大切、と堅実なキンジーは金持ちになってからも謙虚、簡単な人探しの仕事も引き受けた。

    500ドルでよろしいかしら。
    依頼主の大金持ちの女が 100ドル札を5枚出した時も、キンジーは正直。
    多過ぎます。簡単な確認作業で済むので、200ドルで十分です。

    予定通りその仕事はすぐに完了。ところがキンジーはハリーと称するその女にまんまと騙されていた。誰あろう、鋭い観察眼と強力な勘を持つキンジーが。でも、どうして?

    こんこんと湧き出る泉。

    こんこんと湧き出る泉。

    ハリーは一筋縄ではいかない女。しかも金を持つ。
    金持ちになったキンジーの金が彼女の口座でぽとりぽとりと利子の滴を垂らしているだけのものなら、ハリーの金は泉から湧く金、値段を気にせず何でも買える、自由に使える。その違いをキンジーは、勧められて飲んだ、ハリーがいつも飲んでいるシャルドネの味で知る。

    白ワインのシャルドネ。

    いつも飲むシャルドネとは比較にならないおいしさ。

    グラフトンの作品の中には金持ちがたくさん登場する。カリフォルニアという土地柄もある。ハリウッドを抱え、気候も温暖、カリフォルニアにはもしかしたらアメリカの富豪の10%位が住んでいるのではないか。富豪と一口で言っても、どれほど豊かなのか、一般市民には推し量ることもできない。彼らの豊かさを見るのはせいぜい、ドラマの中の富豪の暮らしぶりから。もしくは、自分の生活に他人がずかずか入ってくることに鷹揚な富豪が招き入れる、カメラ突入番組から。でも富豪の生活など見なくてもいい。私たちが知っているのは自分の生活の中にあるごくごくささやかな贅沢でしかないが、そこに満足がある限り富豪の富に比して何ら遜色はない。「埴生の宿 」(歌詞と楽譜はこちらから)という古い歌もあるじゃないか。
    それに。
    彼らには、持つものの桁外れの大きさから、私たちのものとは大きくスケールの異なる、非常に重い社会的義務があるのだ。

    陸運王ザナキスは抜きん出た才覚と強運で、1代で富豪となった。金が金を産むシステムが出来上がれば、黙っていても金が増える(できれば知りたい、その方法)。もうがつがつと金を追い求める必要はない。夫妻がこのカリフォルニアに来ると、二人はたちまちこの地の社交界の人気者となった。慈善事業に惜しみなく金を出す、理想的な富豪だから。

    蓄積した富を社会に還元することは、昔も今も理想的な富豪の姿だ。あのビル・ゲイツも、巨万の富を独り占めしようとはしていない。彼にしかできない方法で社会のため人のために、彼の金を使っている。私が感嘆するのは、子どもたちに全ては残さない、という彼の決断だ。子どもの人生は子どもが築き上げるものだから、当然と言えば当然。

    富豪の屋敷。

    左右対称で端正な屋敷。

    陸運王が購入した屋敷には古い歴史があった。20世紀初頭に建てられてから、富豪一族が何世代もそこに住んだ。その最後の後継者が一人寂しく死ぬと、しばらく打ち捨てられていた屋敷を、陸運王が家具や美術品を含めて丸ごと買い取った。華麗なる一族は、世界中の美しいもの、すばらしいもの、つまり名画、陶器、調度品、絨毯、を愛でながら暮らしていた。
    しかし貧しい家系から身を起こした陸運王も妻のテディも、芸術とは無縁、地下室のおびただしい数の家具や什器を見ても、埃にまみれているそれらの価値はよくわからなかった。離婚の際にテディに分与されたスターリング・シルバーのナイフ・フォーク類は、合計3セット総数600本を超える。(1セット200本以上、一体、何人の客を想定していたのだろう?)。テディはすぐさま現金化するが、何と合計40万ドルの値が付いた。

    どのような贅沢も許されるほど豊かになると、華麗なる一族が銀器を「生牡蠣用のこの小さいフォークも、シュリンプ・カクテル用にこれも」と付け加えたように、とめどなく美しいものを求める。そうした美しいものは溜息が出るほど心を揺すぶる。骨董品であれば、それは遠い日々の記憶の一端を切々と語りかけてくる。そういうものの中で毎日を生活することは、何と大きな喜びであることか。一族繫栄衰亡の歴史を刻んだその屋敷は、それ自体も美術品のように美しい。

    価値のわからないものはガラクタと同義、と離婚を機に陸運王は不要なものはすべて慈善事業に寄付することとした。
    心配ご無用。
    価値あるものが二束三文で価値のわからない人の手に渡り、ぞんざいな扱いを受けたり、そのうち他の雑多なガラクタと混ざって捨てられる、そのような心配はする必要がない。その骨董品・美術品はすべて専門家が正しく鑑定・評価し、それなりの値段(高い)が付けられて売却される。そしてよいもの美しいもの尊いものの価値を知る、別の富豪の手に委ねられることになる。
    眼力のある専門家により付けられる金額は一種の濾過装置だ。価値のわからない人の手には間違っても渡ることはない。金がありそういうものに興味がある人、だけにアクセスが許される。そうやって価値あるものは金持ちの世界で安全に生き残ることができるのだ。コレクションはばらばらになるかもしれないが、再び一つに集めよう、とする持ち主が現れるかもしれない。価値あるものは持ち主より遥かに長く生き続けるのだ。本物だから。
    つまり、そういうものを購入することができる新しい所有者は、歴史が磨いた芸術品を厳かにしばし預かり、恭しく後世に引き継ぐ。それこそが、時には肩に重いものの、預かっている間に無限の悦びを愉しむことと引き換えに果たす、金持ちだけに許された、金持ちだけにしか可能ではない、責任なのだ。

    原始的なフルートのパン・フルート。

    パン・フルート、パン・パイプ。

    思いを巡らせてみれば、これまでの人類の歴史とは、生存の確保が果たされたときにのみ見られる、美しいもの・よいもの・芸術への希求の道程であった。風の音や川のせせらぎ、鳥のさえずりを愛しく好ましく思い、それを模して素朴な笛や打楽器が生まれる、焚火を囲んでその楽器を鳴らし歌い踊る、やがて糸を弾(はじ)いて音を出す素朴な弦楽器が現れる。
    長い縦の線と短い横の線で描かれた狩猟の壁画が美術史第一ページの確かな証拠なら、それは日々の生活の中の感動の記録から始まったことになる。狩りが成功し大きな獲物がしとめられ、それを持ち帰って一族がたらふく食べ、幸せに満ち足りたとき、狩りをした男が寝る前のひととき、難しい狩りが報いられた誇り、一族の長としての幸せな思い、をねぐらの一隅に記録したのだ。

    洞窟に描かれた狩りの絵。

    岩肌に描かれた狩りの図。

    時代が進み、戦争のない平和が続き経済が安定し生活が豊かになると、人は文化を育む。
    世界のあらゆる所でこれは見られた。音楽も美術も舞踊も、みな、王侯貴族の保護の元で芸術の域にまで発展した。教会も一役買った。市民が王侯貴族に匹敵する富を形成すると、彼らも芸術の発展に貢献する。バッハもモーツアルトも、彼らに雇われて音楽を書き演奏した。ダ・ビンチもミケランジェロも同様、金を対価に作品を残した。裕福な階級の経済的援助があってこそ実現された「芸術の発展」だ。

    18世紀の音楽家。

    18世紀の宮廷音楽家。

    現在その援助は富豪の役目。金のない才能に奨学金を提供する。いつか近い将来、彼らの才能が社会に人類に貢献すると信じて、夢を彼らに託して。そして、その夢は私たちの夢、すべての人が等しく享受できるもの。

    現代の若い才能。

    現代の若い才能。

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