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    11.3冊の野草スケッチ画集

    花は黄色、実は小さい蛇イチゴもある。w is for wasted
    食べる苺は白い花、蛇のイチゴの花きいろ。

    キンジーは画集を手に取ってみる。全16ページの薄い冊子で、手で綴じてある。表紙には「カリフォルニアの野草の花」と流麗な書体で書かれ、その植物が中央に描かれる。自筆だ。その画集を開いてみれば、何時間も何時間もかけて、幸福な気持ちで彼がこれを描いたことがわかる。全3冊。   他の2冊は、
    2.「カリフォルニアの食べられる野草」、そして
    3.「カリフォルニアのハーブ(薬用野草)」。

    私も週末は車で2時間弱の田舎で花を育てているから、わかる。
    花を植えるために花壇の準備をしようとしゃがめば、そこには様々な自生の植物がすでに在る。ほとんどがどこでも逞しく生きる雑草で、冬の一番寒いときからすでに成長の準備をして、地面近くに小さな葉を短く伸ばしてじっと待っている。それから決まった順番で春を寿ぐ花が開く。最初はオオイヌノフグリ、次が仏の座。その後はほぼ同時に、たんぽぽ、カラスノエンドウ、タネツケバナ。たくさんのレギュラーが再び顔を出す。

    フランス菊とアカツメクサも咲く。

    フランス菊と赤詰草がそれに続く。

    5月に入ると園芸種の花も交えて、庭は花盛り。
    花屋で買える園芸品種の花は多用を控え、雑草と一括りにされる草花を生かす自然の庭を私は作っている。それでも傍若無人に蔓延る草は刈る、抜く、やむを得ないものは根こそぎ駆除する。そのたび先住人に謝る。ごめん、しばらくの間だけ好きにさせてもらう、と言って。私の庭は、彼らからほんの短い間借りているだけなのだ。庭には昆虫やミミズや蛇が何世代もずっと住み、野ウサギやアライグマやイノシシが訪れる。この庭はみんなのものだ。私がいずれ庭に出られなくなれば、私が作ったものを大きくぶるんと振い落とし、庭はすぐさま元の姿に戻るだろう。5月末の庭、夕化粧が小さなピンクの花をあちこちに咲かせている様は、ひたすら美しく私は歩みを止めて見続ける。

    5月に満開、赤花夕化粧。

    5月に満開、赤花夕化粧。

    私が好む草花は小さな頃から見ていたものだ。遊歩道や住宅街の庭から顔を覗かせていた紫かたばみや烏野豌豆やエノコログサなどは、今は我が庭にも在る。庭で作業するようになって、自生ゲンノショウコの花に初めて出会ったときは、その白い花の可憐さにその葉の造形の見事さに感動した。その後、自生の株を見つけては、「ゲンノショウコ地図」に自生する場所を書き入れ、折に触れて元気かどうかを確かめた。それから5年、ゲンノショウコはあちこちに小さな群生を作って、私は安心して見守るだけでよくなった。現在ウォッチングしているのは、春アザミと秋アザミ。両者とも冬は枯れるが同じ場所に芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせる。時々思いがけない場所にこぼれ種が定着し花をつけるが、見つけた時の喜びたるや。

    ゲンノショウコの小さな群生。

    こぼれ種からここにもゲンノショウコが。

    時間があれば、私も色鉛筆でスケッチをして、我が庭に咲く花、という小さな手製の本を作りたい。今は手っ取り早くスマホに収めているが、その画像アルバムよりスケッチをまとめた一冊を残したい。重みが違う。
    彼の図鑑の重みが私にはわかる。

    野薔薇。

    野薔薇は白い花。

    彼、Dace、と会うことが叶えば、彼と私は話をせずとも、私の庭を歩きながら心穏やかなひと時を過ごすことができるだろう。彼は私が指さすゲンノショウコの小さな群生を見て、ああ、フウロソウ、と頷くだろう。花の色は?と尋ねるかもしれない。自生の野薔薇の白い花の房にそっと触れ、もっと剪定した方がいい、と言うかもしれない。
    そういう彼に私は浦島草を紹介しよう。非常に存在感の強い、奇妙な植物だ。5月の今なら、その浦島草と腐生植物の両方を見せることができる。小さな花が好きな彼は、その特異性に拒絶反応を示すかもしれない。そうしたら、私の1年の花のアルバムを見せよう。彼は私に三つの自作画集を見せてくれるだろう。1枚1枚、彼が心を震わせながら描いたその画集を私は是非とも見たい。キンジーが持っているものも加えて。

    ウラシマソウはイモ科の植物。

    浦島草。毎年ほぼ同じ場所に芽を出す。釣り糸様のものが名前の由来。

    葉緑素のない植物。普通の人は知らない植物だ。

    奇妙な植物だ。葉緑素を持たない。

    でも、彼の子どもたちでそういうものを貰って喜ぶのは、長女だけか。
    いやそうではない。他の二人もいずれ気持ちが落ち着けば、父親を理解できるようになれば、花びらを描く柔らかな線や葉の葉脈の太さ細さが丁寧に書き分けられていることに気づき、父親がその葉のわずか1枚を書き終えるまでに要した時間を見て、そこに父親の眼差しを感じることだろう。
    それからは、その本を手にすることが、失われた父親との時間を取り戻す時間となる。

    植物のスケッチ画を描くDace。

    スケッチ画を描くDace(イメージです)。Pexelsのcottonbroによる写真。

    彼は素晴らしいものを子どもたちに遺した。

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