新しい試みで読みながら記事を書いています。最後まで読み終わったのですが、記事はまだ第8章にあります。
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    4.スー・グラフトンの猛勉強

    成人学習教室。w is for wasted
    大学の成人教養コース。PexelsのRODNAE Productionsによる写真。

    「献呈」の次に「謝辞」が続く(が、なぜか、W is for Wastedでは例外的に巻末)。
    「謝辞」は著者が、専門家と直接会って(メールや電話をして)本文中の「ある状況」の正誤性、事実からの乖離や詳細の齟齬、を確認したり、時には短く専門知識をレクチャーしてもらう、その他いろいろの協力、のその時間や労力や思いに対する感謝の気持ちを表す場所である。

    グラフトンは作家として大変真摯だ。不明瞭な事柄があれば、必ず専門家からこの「裏を取る」という作業をしている。これは口で言うより大変な作業で、まず不明瞭な点を専門家に適切に説明することができなくてはならない、次にそれに対する専門家の説明を理解しなくてはならない、さらに、文中でその理解をグラフトンの言葉で、読者にも理解できるように著さなくてはならない。つまり、グラフトンは大変な勉強家。

    T is for Trespass では、ソラナに振り回されているとき、キンジーが手掛けていた仕事の一つに保険金詐欺の調査があった。事故を起こしたとされる若い女と事故で怪我をして慰謝料を求める初老の女、が証言する事故発生状況は見事に正反対。法廷に持ち込まれる寸前に、魔法のようにその「水掛け論」を収拾したのが科学者。いや、あくまでも、科学データに基づいて導かれる事実は真実である、と結論する科学的検証。(その記事をどうぞ)。

    私はこの部分にいたく感激した。ズルを平然と阻止するスマートさもさることながら、真実とはそこまで絶対的な力を持つ、という事実に感激した。人間の思惑は複雑で、主観や恣意が複数入ったら各自の主張がどうあれ、もう真実へは辿り着けないほど事態は歪む。今は違う。科学的分析という客観がある。

    検査結果の評価を行う。

    検査結果の評価を行う。PexelsのMART PRODUCTIONによる写真。

    具体的には、被害者と主張する女が受けた事故直後の診察で明らかになった怪我の数々は、綿密な事故の分析・怪我の解析の結果、その事故を原因とする怪我ではない、事故の直前に被ったと思われる別の原因による怪我である、ということが立証された。その事件はそれで解決・決着。

    そのサイエンスに無知だった私は、グラフトンもこの情報をどこからか引いてきた、と考えて、初めて、「謝辞」というものに目を向けた。T is for Trespass の「謝辞」に目を走らせると…。

    発見した専門家の名前。

    あった、これだ。

    Dan Trundell, President, ARS, Accident Reconstruction Specialists、ダン・トルンデル事故解析専門家(協会)会長。これです。そうなのか、事故解析という科学の分野があるのか。このサイエンスについての英語の説明はこちら

    グラフトンは誠実。作家の鏡。気になっていても、時間に追われていれば、調べようとデスクに座りなおすことさえ面倒。でも彼女は、その情報の専門家に教えを乞い、納得して1冊の作品を完成させる。

    完成したT is for Trespass。

    ”完成した” T is for Trespass。

    W is for Wastedのプロローグに進み、「実地訓練の6000時間」の部分を過ぎ、老探偵ピートの死体が発見された箇所を読んだとき、そこにあった一つの情報を確認したくなって、私はその時(T is for Trespass) の前例に倣って「謝辞」の中の情報で確認をしようとした。

    老探偵が殺害されたのは道端。

    老探偵が殺害された夜の路上。PexelsのAhmedによる写真。

    死体発見場所はサンタ・テレサ野鳥保護公園の暗い駐車場近く、その向かいには勤務を終えた警官のたむろするカリエンテ・カフェがある。老探偵は数発受弾しているのに、カフェの中でその銃声に気づいた警官は一人もいない。酔って大声で喋っている上に、ジューク・ボックスが117デシベルを超える爆・音楽を放っていたからだ。

    夜のカフェ。

    賑わう夜のカフェ。

    ジュークボックスで次の曲を選ぶ。

    次の曲はこれ。

    私はここで笑ってしまった。生真面目な顔をして騒音の情報を調べているグラフトンが目に浮かぶ。書かれている説明を理解しながら読み進む顔が見える。この騒音レベルは、「3フィート(ほぼ1メートル)離れたところでガソリン駆動のチェーンソーを動かしている音量に近い」と彼女は書く。この部分は騒音の専門書からの引用に間違いない。私が思わず笑ったのは、117デシベルの117という数字だ。110デシベルでも、115デシベルでもなく、117デシベル。賭けてもいい、この数はグラフトンが教科書としたその本の中の数字を、少し「いじった」ものだ。「この現場」らしさ、リアリティ、を添えるために。律儀でマメな性格に、この「遊ぶ」余裕。これも、グラフトンの魅力。あちこちにある。

    チェーンソーは木を切る機械。

    携帯できるサイズだが、音は大きい。PexelsのBram van Egmondによる写真。

    このくだりで、私の推理が正しいことを確認しようと、「謝辞」を調べた。ところがW is for Wastedの「謝辞」の中に、騒音の専門家はいない(残念)。つまり、グラフトンはこの騒音の知識を何らかの専門書から得た知識に基づいて書いたが、出自・出典を添えていないところをみると、それはすでにグラフトンの知識体系の一部であった。でも、一応、書いた数字が間違っていないことを確認した。そして多少の微調整を。

    成人学習教室。

    大学の成人向け教養コース。PexelsのRODNAE Productionsによる写真。

    2013年に出版した Kinsey and Me/Storiesの中で、グラフトンは語る。「キンジーと私は一つの生を二人で生きている」と。「もう一人」がいる人はそうざらにはいない。何と幸運なことか。「キンジーの知識は私の知識以上のものではないので」(この表現は楽しい)、グラフトンは懸命に勉強をしてキンジーに探偵の素養を付けさせる。つまり、グラフトン自身が女性の護身術や犯罪法のクラスに出る。医師・弁護士・探偵・刑事・検視官といった数々の専門家と知り合いになる。銃を購入して発砲練習もする。そうした勉強がすべて探偵としてのキンジーの能力となった。そして、必要に応じて急ぎ勉強した「事故解析」や「騒音レベル」といった専門知識は、キンジーに資しただけではない、作品の質を高める、作品に信頼性を与える、作品に魅力を添える、こととなる。

    女性用護身術クラス。

    女性向け護身術クラス。

    ふとした瞬間に見え隠れしていたキンジーのイメージ、それがゆっくりキンジーとして像を結び、道に迷った子猫のように側に擦り寄ってきて、気が付くとすでにグラフトンの生活の中にいた。キンジーが生まれるこのプロセスは、彼女がオハイオにいた1977年に起こった、とグラフトンは回想する。

    グラフトンにとってキンジーは、慈しみ育てていく子ども、生きていく力を与えてくれる子ども、戻っていくグラフトンだけの場所、避難場所。

    そして、向き合うことが喜びである「もう一人の私」。

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