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    10.貧して鈍する:新しい親戚

    はとこの一人はギターで弾き語りが職業。w is for wasted
    クラブのメイン・アトラクション。

    死んだホームレス、Dace、はキンジーの父の従弟だった。

    寝袋の中で死亡した。

    彼は寝袋の中で死亡した状態で発見された。

    キンジーの突然の出現から、遺言の内容に仰天して憤懣やるかたない家族、キンジーへの拒絶感、自分たちこそが正当な遺産相続者であるという主張の展開まで、死んだホームレスDaceの住んでいたベーカーズフィールドにおける章は、合計8章、総95ページ、と長い。
    長くて辟易とする。リズムが同じで飽きる。そこに通奏低音のようにキンジーへの嫌悪が流れ、それで心が萎える。ぱたんと本を閉じたら、W is for Wasted は他の本より目立って分厚いことに気づいた。全484ページ。他の本と比較してみても、T is for Trespass が 387、U is for Undertow は 403、X も 403 ページ、とW is for Wasted は80ページ分、分厚い。(以上、同じ出版社、Macmillan Publishers刊行のハードカバー版)。

    同じ出版社刊行の4冊の厚さを比較。

    W is for Wasted が一番ページ数が多い。

    読みにくさと長さの主たる原因は、グラフトンが「地の文」を離れて「会話」でのストーリー展開をしたため。ここの部分は小説ではなく、もはやテレビドラマのシナリオ。

    彼の家族が自分たちの権利を主張する。うんざりしながら読むうち、グラフトンのキラリ光る筆力に目が覚めた。最後に主張を展開したのは彼らの母親。ここは白眉。なるほど、と私も納得しそうになるほどこの母親の弁舌は鮮やか。うまいのだ。よく読めば、グラフトンは見事にそれぞれの主張を書き分けている。遺産の喪失より、父の死を悼む娘もいる。各人の奥にある個性・立場がちゃんと見える。すばらしい。ここは文句なく、よかった。この「書き分け」のために、グラフトンは敢えてベーカーズフィールドのストーリーは会話を主体としたのだ。

    父方ミルホーン家の親戚と母方キンジー家の親戚も、グラフトンはきっちりと書き分ける。
    片や資産家ファミリーで教育レベルが高く、キンジーの従姉妹には弁護士がいる。もう片方たるや、ギターで弾き語りをする小さな町のクラブ歌手(うまい)、その妹は美容院でマニキュアとペディキュアを塗る。職業に貴賤はないが、その職業に就く人に教育・教養のレベルの高低が、当然、ある。そしてもう一つ、職業とは無関係な部分で、人間としての品性にも差がある。
    グラフトンはその差をはっきり書く。読んでいて居心地が悪くなるほど、はっきり。ひと言でいうとその差を産むのは、持つ金の多寡だ。その実際例を一つだけ挙げると、グラフトンは登場人物の服装を細かく書くが、金持ちの女が着る白いブラウスはいつも絹であるのに、3人の子どもたちの母親が着ていたのは、白いポリエステル。
    長男はキンジーのムスタングのタイヤに釘を刺した。
    次女は、皆の飲み食いと自分の高級シャンペンの勘定を全額キンジーに支払わせた。

    グラフトンのこのメッセージから敢えて一般論的結論を引き出すならば、それは(母方の従姉妹たちのおおらかさの例はここでは割愛するが)、「裕福な家庭で育てば総合的に良い人間となり、そうでない場合はそうでないことが多い」。貧すれば鈍する、からである。家庭が貧していれば、大概の場合は親が鈍しているので、そこで育つ子供たちは自然に鈍するメンタリティーを身に着けてしまうからである。
    しかし私見を加えれば、豊かであるということにはかなり大きな確率で、その人の強い意志や運気が関係している。貧する環境にあっても、清貧を厭わず凛と在り、こうしたい、こうなりたいと強く思うことでその願望の成就は可能。だが、思わないところには何も起こらない。

    それは明治の元勲を見たらわかる。彼らの多くが貧しい下級武士であったが、頭がよく士気が高く、日本国の在り方はこうあるべきと熱く燃えていた。彼らはちょうどやって来た時流に乗って運を掴み取り、日本の黎明の時という激動の舞台でその中枢の役割を担った。華族になった例もある。

    サンタ・テレサに帰る道、キンジーの心は晴れやか。

    サンタ・テレサに帰る道。

    新しい親戚。知らなかった父親の親族。彼らが突然、一気に近づいた。
    サンタ・テレサに車を走らせるキンジー、心が晴れやかである。

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