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    Uは誘拐のU

    読むときの道標となる地図。U is for Undertow
    到達点を示す地図。Image by Prawny from Pixabay

    小説を読むとき、読者は背筋を伸ばし襟を正してプロローグや最初の章を読まなくてはならない。これは推理小説でも同じ。そこには著者の思いがぎゅうっと凝縮されている。大きなヒントが隠されていることもある。この物語は連続ものの一話であるので、キンジーや彼女を取り巻く人々は相変わらず登場しているとしても、何もかもが新しい、まっさらなストーリーがここから始まろうとしているのだ。その表紙を、さあ、とめくったところなのだ。

    U is for Undertow の第一ページを開く。

    新しいストーリーが、これから始まる。

    ここには新しいストーリーへの著者の思いが漲り、その象徴や思想がとびきり美しい語彙・素晴らしい言い回しで端然と述べられる。それをゆっくり読む。新しいストーリーに流れる空気の香りを嗅ぎ分け、新しい状況のヒントも掴む。間違っても急いではいけない。本文に入るのはそうした気構えが整ってから。

    確かにそうだ。S is for Silence ↓↓でも冒頭の “Note from the Author” に大切なことが書かれていた。あの時もよく咀嚼せず、先を急いでしまった。その反省を踏まえてこの U is for Undertow、2回目はゆっくり読んだ。3回目は丁寧にメモを取りながら読んだ。特に冒頭もしくはプロローグは噛みしめるように(今はあちこち、本文と私の書いたモノとの整合性を確認するため部分的に読み返している)。

    S is for Silenceの表紙。

    この作品も前2作(↑↑↓↓)に見られた新しいスタイルを導入している。「私=キンジー」の現在(1988年)のストーリーの展開に、1963年・1967年と自在に時間軸を変えて、異なる視点(「デボラ」、「ウォルター」や「ジョン」)の別個のストーリーが絡む。一方、小説の構成は前半の18作と同様、プロローグの役割を果たす第一章冒頭のパラグラフがあり、その後、本編が始まり、短いエピローグで終わる。

    T is for Trespass の表紙。

    その冒頭パラグラフにこの本を読むうえでとても重要な心象設定が提示されているのだ。

    その部分の最小語数での要旨は:
    ある事象(事件)は偶然に起きたものではない。目にしているその事象は「ある結果」で、「その原因となった過去の事象」と固く結ばれているのだ。その「過去の事象」は、繋がれたまま、見えないずっと深いところに沈んでいて、それがあるときすっと水面に浮かび上がってくる。今の事象にしっかり縫い合わされた多々の要素とその要素が作る骨組みを見れば、その事象の本質・事実を理解することができる。(PUTNAM発行、第1ページ、第1章、第1パラグラフ、冒頭より第11行目まで。)

    この U is for Undertow はそういう話なのだ↑↑

    冒頭にはこの話の骨組みがこのようにきちんと示されているのだが、そのメッセージをちゃんと理解できたのか、その理解を最後まで維持してきちんと読み終えることができたのか、3回読んだ後でも私には自信がない。咀嚼しながら考えれば、浮上した過去とは「あのこと」で、それではその表出をやむ得なくしたモーメントはアレ、とおおよその考えは、つく。さらにじっくり考えれば、それはあれ、これはそれ、とわかる。ような気がする。

    不満のあまり腕組みをする少女。

    少々不満です。

    ところが、私の脳はハッピーではない。もう一つ深い納得に欠ける。ストンと腑に落ちない。題名の undertow の英語・日本語での理解の不十分さに加え、全体的に何かが不満である。もう一度読めば、何だ、そうかと納得できるのだろうか?

    読むときの道標となる地図。

    到達点を示す地図。Image by Prawny from Pixabay

    私はこうした方法で本を読みたくはない。ごく普通に読み始め、読んでいるうちにいろいろなことの関係がわかり、満足して最後のページを閉じる、そういう本を読みたい、そういう本を読んできた。私は本に語りかけて欲しい。本に雄弁であってほしい。全体の構図を見せられ構図の形成要素を考えつつ、何か違う、と思いながら読むのではなく、なるほどと理解しながらズンズン楽しく読み進みたい。

    本の内容に満足する(幼児)。

    満足です。

    この本 U is for Undertow には難儀。

    難儀しながら、これはグラフトンの失敗作ではないか、という考えも頭をよぎる。
    その「嫌疑」の支持材料となったのは:グラフトンの「運命」を掲げた冒頭の壮大なテーマは、残念ながら「本体の実際」より重すぎた。しかも犯罪自体が凡庸。もうひとつ魅力的な登場人物に欠け、諸設定に無理があり、筆致も高揚を欠き、会話でストーリーを運び、最後の章に至ってはかなり乱暴なテクニックを使って「はい、一件落着」と書き終わりを急いでいる。

    この本に限っては、冒頭の筆者の意気込みをサーッと読んで、よくわからないままでも、すぐに依頼人の登場を迎えたほうが読後の満足度が高かったのでは、と今は思う。

    マイケル・サットンのイメージの青年。

    この髪を短くカットして髭を剃り5歳若くして、 Pexelscottonbroによる写真。

    半そでシャツにネクタイという出で立ちで彼はキンジーのオフィスに現れた。

    この服装をすれば、依頼人マイケル・サットンの出来上がり。
    PexelsVictoria Borodinovaによる写真。

    半袖シャツにきちんとネクタイを締めた、清潔感の漂う青年がキンジーのオフィスにやってくる。彼の年齢を尋ねてキンジーは驚く。彼はそれほどに若く見えるのだ。彼の名はマイケル・サットン。彼が6歳の時に起きた幼女誘拐事件の、その子が埋められた場所を知っている、と彼は語り始める。

    男二人が穴を掘った森の中。

    男二人はここに穴を掘り始めた。

    その話をキンジーは信じた。刑事フィリップ・チーニーも彼の話に頷いた。そして、こういう古い件の調査はこの人に、と青年マイケル・サットンをキンジーのもとへ送り込んだ。

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