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    青年マイケル・サットンの生涯

    女の髪に花を挿して求婚。U is for Undertow
    女の髪に花を挿す。Image by Viet Huynh from Pixabay 。

    青年サットンがキンジーに依頼したのは、二人の男が掘った穴の場所の特定。

    男二人が穴を掘った森の中。

    男二人はここに穴を掘った。

    21年前のその時、6歳の少年には実際に見たこと以上のものが見えていた。
    二人の男に漂う「異常の気」、自分たちが見られていると気づいたときに見せた強い「恐怖の色」、近くに置かれていた荷物が発する「悪の臭い」、少年を追い立てるように帰らせた男の「異様な意思」、そういうことが総合的に作用し、少年の内に何か悪いことを感じさせていた。しかし、それを言葉で表現する能力が、6歳児にはなかった。

    その一切合切が、青年マイケル・サットンの脳裏に鮮明に浮かび上がる。過去に起こった誘拐事件の特集記事を何気なく読んだときのことだ。青年は、21年前の記憶を細部まで正確に思い出す。男たちの顔まで思い出す。そして見たことが意味することを、今は言葉で表現することができる。

    夜の発掘作業が始まる。

    夜の発掘作業の結果は?

    キンジーはそれを信じた。さっそく調査(1日500ドル)を開始。その日のうちにその森に辿り着き、二人の男が穴を掘っていた場所をマイケルが、ここだ!と特定し、即刻、警察による発掘が始まる。ところが、出てきたのはオオカミ犬の死骸とその上に置かれていた名札だけ。

    オオカミと普通犬のハイブリッド、オオカミ犬。

    オオカミ犬。mohamed HassanによるPixabayからの画像 。

    マイケル・サットンは突如、オオカミが来た、と叫ぶ嘘つき少年になってしまった(そして密かに危惧していた通り、またイソップの童話通り、やって来たオオカミに本当に殺されてしまう)。彼は意気消沈して呟く。でも本当に見たんだ。

    そう、本当に見たのだ。マイケル・サットンは多感で敏感で繊細、子供のころから外界からの刺激にいつも大きく揺すぶられていた。家族はそれを鬱病と理解し、また現実と想像の境界がわからない子供と捉え、成人に達しても自立できない彼に両親は治療を勧める。彼の真の苦難が始まるのは、その直ぐ後、治療が始まってからだ。

    診察中の女性精神科医。

    精神科医による治療が始まる。

    この世に生を受けた私たちは多かれ少なかれ、何かが欠けていたり多すぎたり、と完全ではない状態のまま人生を生きている。心身ともに完全無欠の人など、この世にはいない。いたとしたら外見上そう見えるだけ。誰しも様々な問題を抱えている。他人とコミュニケーションを取れない人、注意力が足りない人、発語がままならない人、自分のことばかりしゃべる人、直ぐ怒る人、くよくよする人。たくさんの人々が社会の中で摩擦を起こし自分も傷ついている。それでも一人でこの世に生きることはできない。どうにか社会との関係に折り合いをつけようと努力している。その選択すらできない人は、「自分の部屋という牢獄」で親の庇護だけを頼りに「ひきこもり」として生きている。

    誰にとってもこの世は辛いのだ、苦しいのだ。

    キンジーが見た青年マイケル・サットンに見られる世間知らずのナイーブさは、イギリスの推理小説家ルース・レンデルの2作品にひっそり登場した、軽い発達障害を持った2青年を彷彿とさせた。彼らは朝に自分で作ったチーズ・サンドイッチを持って社会の中に出かけ、時間になるとそのサンドイッチを食べる。その短いシーンでなぜか私の胸は痛んだ。少しでも自立してなるべく密に社会参加ができるように、という彼らの母親たちの願いが心に突き刺さった。

    その記憶を下敷きとして、私は隙だらけで成長しきっていない青年マイケル・サットン、成人への通過時期の躓(つまづ)きで失った信頼と尊厳を取り戻そうとしている青年マイケル・サットン、をそっと見守り続けた。

    ジムの前に立つ二人の高校生。

    高校3年生の二人。(ウォルターとジョンのイメージ。二人はやがて銀行家と作家に)。舞台は1967年、マスクは無視してください。

    マイケル・サットンのような青年たちは、裕福な家庭で高慢で無礼に育った青年たちとは異なる。親の影響力も当たり前のように利用し、彼らはとんとん拍子に弁護士や銀行家となり、自他ともに認める成功者として世の中を闊歩する。自信に満ちた社交上手な彼らが、栄養のいき渡った豊かな背中で人生の謳歌をひけらかしても、マイケル・サットンのような青年たちは、キンジーが彼を見てそう確信するように、中年を超え壮年になっても胸は薄いまま、肩は狭いまま、成功者が放つ脂の臭いはない。社会での成功はしていなくても、彼らは明るいまっすぐな視線を前に向けている。知らない人から嫌味な言葉を投げつけられようものなら、足早にその場を去ろうとするだろう。しかし、困った人を見れば立ち止まりおずおずと手を差し伸べる、そういう人たちなのだ。

    マイケル・サットンは薬物中毒の少女や盗みで何回も警察に逮捕された少年など、「傷ついた小鳥たち」、の生活をみていた。そろそろ亡父の遺産が底を突こうとしているにも拘らず。

    妻の髪に花を挿す。

    女の髪に花を挿す。Image by Viet Huynh from Pixabay 。

    マイケル・サットンにはもう少し生きて欲しかった。キンジーのような人々にたくさん出会い、横に立つと言う女を見つけ、経済的な自立を自力で果たし、失った自信を取り戻しながら、人間が男として生きていく覚悟を知って欲しかった。

    人生は石ころだらけ。躓いて転んでも起き上がれば、再び良い人生。それも知って欲しかった。

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