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    スー・グラフトンの「憂さ晴らし」

    潜って遊ぶショーン。太陽が輝く。U is for Undertow

    グラフトンは S is for Silence ではカー・ディーラーの娘のキャシーを嫌った。U is for Undertow ではヒッピーのシェリーを嫌う。どれほど嫌っているか、それは一つ、二つ、と嫌う具体例が増えていくことに明らかである。

    (キャシーの記事はこちら。記事の中ほどから始まります。)

    デボラは一目見てシェリーを嫌いだと思った。それはすぐ確信に変わる。初めて会う相手に、しかも1これから産まれてくる子供の祖母に当たる人に、普通は聞いて耳に障ることは言わない。しかし、この女は言うのだ。しかも2彼女はこれからその家で数か月を客分として暮らしていく、つまり何から何まで世話になる身、でありながら、デボラの家の在り方を批判し否定する。たとえ、それが自分が妄信しているヒッピーの信条の正義とはいえ、あまりに礼を失する。デボラは普段は物静かで前向きで穏やかな性格だ。それなのに、デボラの心に怒りがふつふつと滾(たぎ)る。

    この女シェリーはおかしい。心理学の専門家でなくても、それが発達障害の一つであることはわかる。協調性に欠ける、他人の気持ちなど考えたこともない。そういう人は議論が不毛な人だ。こういう人と四つに組んではならない。避けて通るのが最善策だ。だから、デボラもシェリーが2、3回見せた良い面を大切にして、じっと我慢した。

    ここにも S is for Silence のキャシーの描写に表れた「書き過ぎ」がある。それがシェリーのどうしようもない障害からの衝動なら尚のこと、彼女の否定的な印象を増大させる書き方は最小限に留めるべきかもしれない。セリフでストーリーを進めていく手法は、他の書き方で代替できる。否定的な表現が続くと私たち読者はくたびれる、萎える、げんなりする。それなのに、なぜグラフトンはこうもたっぷり、嫌な女たちの嫌な面を書き続けるのか。

    キンジーとグラフトンがこちらを見ている

    ふたり(本写真は説明用のイメージで、本文とは関係ありません)

     

    S is for Silence の「ふたり」。

    記事はこちらから。

     

     

     

     

    解釈1:S is for Silence の記事の中で、キャシーの描写が厳し過ぎることについて、私はその時、本来とても心優しいグラフトンがやむを得ず「嫌な女」を書くに当たり、嫌なこと・嫌いなことの表現があまり得意ではないので、ついつい、嫌なことの典型的な描写を多く続けて「嫌な女」の「嫌さ」の程度を表現した、というような印象を書いた。それはこの本でも依然、有効。グラフトンは意図して人間を悪く書くことが得手ではない、のだと思う。

    解釈2:グラフトンの身近にシェリーやキャシーによく似た人がいて、グラフトンはその人に多大な忍耐を強いられたのかもしれない。そういうこと、書くものに反映されるのですよ。書く文量が多ければ多いほど、そうした人たちへの批判がボロボロと出るのです。

    解釈3:シェリーの否定的発言が続く中で私の心に引っかかったことがあるが、それがその理由かもしれない。この U is for Undertow に限っては、この「書き過ぎ」はもしや、グラフトンが構築しようとしている密かな企みの伏線ではないか。どうもそのように思える。

    赤ちゃんの小さな足。

    こんなに小さいの。PexelsPolina Tankilevitchによる写真。

    休憩 後半は長めです。

    それは。
    娘レインの抵抗、が伏線の1。
    シェリーはヒッピーの模範的生活を第一義としている。ずっと自然分娩をするつもりでいた。しかし、定期検診など一切受けず、突然の破水で慌てて医師のもとに運ばれ、胎児は帝王切開でなければ危険、という状況がわかる。シェリーは帝王切開を頑なに拒む。が、痛みに耐えるのにも限度があった ⇒ 胎児レインがヒッピーがよしとする自然分娩を否定する。

    帝王切開で赤ちゃん誕生。

    無事に誕生。PexelsVidal Balielo Jr.による写真。

    アメリカでは出産後はすぐに退院させられる。我が家では出産が夜だったので、一泊して次の日に退院。アメリカでは、医療費が非常に高いから、それが普通。そういうことの心配は一切ないキャサリン妃でも、日本のように1週間も入院はせず、数日でさっさと退院、新生プリンス・プリンセスを抱いてフラッシュの放列の前で微笑む。

    泣いている新生児。

    赤ちゃんはおっぱいを飲もうとしない。

    シェリー母子も数日後には退院するが、シェリーの苦難は続く。新生児がおっぱいを吸おうとしないのだ。その顔を乳首に近づけても、プイと顔を背ける。無理やり乳首を含ませようとすれば、頭を仰け反(のけぞ)らせて大声で泣き続ける ⇒ 新生児レインが痩せた母の栄養価の低い母乳を拒否する。手に余る新生児レインにシェリーは毒づく。シェリー顔色なし。

    子宮で育ちながら胎児レインは母の声、そばにいる人の声を聴いている。もちろん言葉の意味はわからない。でも語調はわかる、不協和音もわかる。母親シェリーの胎児をいたわる努力は皆無、いつもイライラ不機嫌で、飽くことなく人を攻撃・非難し続けた。胎児も嫌がっていたのだ。

    120ccのミルクを飲む赤ちゃん。

    ごくごく一気飲み。

    おっぱいを飲もうともしなかった新生児は、デボラが作った粉ミルク4オンス(≒120㏄)をごくごくと一気飲みしてストンと眠りに落ちる(デボラの勝ち)。

    次の朝、長い間でんと居座っていたスクールバスが庭から消えていた。

    おもちゃをじっと見つめる赤ちゃん。

    おもちゃをじっと見る。おりこうね。PexelsPolina Tankilevitchによる写真。

    その後、捨てられたレインは祖父母(デボラとパトリック)の養子となり、彼らの子どもとして豊かな生活を送る、立派な教育を受ける。パトリックが死んだ後は、彼が経営する会社を引き継ぎ社長の座に就く。彼が発案した雨の日のための、傘やレインシューの、商品群(その名もレイン・チェック)はお洒落なブランドとして成長し、今やロンドン・パリ・ミラノ・東京で大ヒット。

    大学の卒業式。

    卒業したら大学院へ。PexelsKarolina Grabowskaによる写真。

    つまり、レインが受け継いだのは、すべて、シェリーがブルジョアの悪として、何度も厳しくデボラとパトリックを糾弾したことばかり、なのだ。図らずも、レインもヒッピーではなくブルジョアの境遇を選択した。

    シェリーの分析:よくよく見れば、レインが受け継いだことは、いくらシェリーが欲しいと声を張り上げても、決して手にすることができなかったものばかりだ。欲しくても手に入らなかったもの、をヒッピーの言葉を借りてシェリーは存分に否定していたのだ。これは、イソップの童話の葡萄を食べ損ねた狐。へっ、どうせ青くて酸っぱいや、とケチをつけるうっぷん晴らし。シェリーはそういう無力で不幸な人だったのだ。

    否定的なメッセージは耳に辛い。長く続くと溜息が出る。その中でこのレインに降り注いだたくさんの愛の贈り物こそ、グラフトンの用意した計略の伏線2。

    無意識の層で読者は、またか、またか、とシェリーの「悪行数え」をして眉を顰め、出てきたレインの反抗で「意趣返し」の甘さを味わい、ブルジョアの勝利で「憂さ晴らし」をして、満足する。つまり、グラフトンはこの最後の展開、「憂さ晴らし」、で嫌いな女シェリーと彼女のよりどころであるヒッピーの信じるものを否定したのだ。

    とは言え、悪行数え⇒意趣返し⇒憂さ晴らし、ではどうにも後味が悪い。
    大丈夫。グラフトンが書いた「プールの日」は静かで平和で美しい。

    プールで喜ぶ4歳のレイン。

    4歳児水泳教室。この後、ショーンとゲーム。

    潜って遊ぶショーン。太陽が輝く。

    怖くない。

    二人はプールの底に落ちたおもちゃを拾うゲームに夢中になる。10歳の兄と4歳の妹が、水の中で見つめ合う。二人の口から吐く息が小さな泡になって上昇する。太陽が水の上で輝いている。プールの後はマクドナルド。少年はビーフパテに気づく。あなたのはトマトとレタスが挟んであるのよ。少年は最初の一口を噛む。あら、速いこと。もう一つ食べる?
    手仕事をする部屋の隣り、ソファに少年が横たわる。
    ねえデボラ。
    なあに。
    ママ怒るかな。
    なにを?
    僕が今日食べたもの。
    トマトとレタス入っていたでしょう?
    うん。
    他のもののことは言わないでいいの。
    うん。
    ねえ、デボラ。
    なあに?
    きょうはこれまでで一番楽しい日だった。
    私も、そうよ。

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