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    ブルジョワ vs ヒッピー

    二人のヒッピーが指でloveとpeaceを。U is for Undertow
    Love and Peace。Image by jwskks5786 from Pixabay 。

    1963年4月、デボラの家の庭に予告なく1台の古いスクールバスが乗り入れる。大学を中退したきり音信不通になっていた息子がヒッピーになり、ヒッピーの女とその息子を連れてやって来た。

    一目見てデボラはその若い女を嫌悪する。資本主義に始まりありとあらゆる制度を否定し、彼女シェリーはデボラとパトリックの家庭の平和を悉く「総括」する。デボラは元来穏やかな性格の持ち主だったが、シェリーの言葉にはっきりとした怒りを覚えた。彼女は身重で、しかもそれは息子の子。仕方なく唇を噛むのだが。それにしてもなぜ、息子は体制にここまで攻撃的な女をわざわざ?

    黄色いスクールバスが庭にやってくる。

    スクールバスがやって来る。Image by Lukáš Jančička from Pixabay 。

    日本の若者の間にも急速に増えたヒッピーが報道され始めたのは、私が大学へ進もうとしていた頃のことだ。日本のヒッピーは髪の毛を長く垂らし、小難しいことを主張していた、が、受験生の私たちの現実では彼らは奇異に映るだけで遥か遠く、彼らの声は私たちにまでは届かない。

    ギターを弾くヒッピー。

    フォークソングが流行った。PexelsのAnastasia Shuraevaによる写真。

    だが、その頃は戦後のベビー・ブームが頂点に達した時だ。1学年に50人程のクラスが8もあった。高校生の数に比して大学の入学受け入れ能力はずっと低く、社会の中で行き場を失って自分の人生を見つけることができない若者が溢れていたのだ。高校生はその予備軍。まだ大きな敗北を経験していない、揃ってほぼ同じ目標・希望をめがけてひたすら勉強をしている最中。

    大学紛争のバリケードシーン。

    大学紛争(一見安田講堂のように見えるが、実際にはトロントの大学)。

    この頃には大学紛争も起こる。そして、この二つはアメリカでもヨーロッパでも起こっていた。このような現象が地球上に同時多発的に発現したことは、とても興味深い。今その頃を思い出してみると、私はその歴史の1ページを傍観していただけ、その中に在ったという感慨は皆無だ。私はこの時点で敗北を味わうが、この二つの現象への共感はなかった。

    生後間もない赤ちゃん。

    おっぱいを飲まず泣き続ける赤ん坊。デボラが粉ミルクを与える。

    出産のために放浪の旅を休止してデボラの家に数か月を寄宿したシェリーは、帝王切開で女の子を生む。母子が病院から退院して来て間もないある朝、スクールバスが庭から消えた。赤ん坊から拒絶された母シェリーは赤ん坊をそこに捨てた。

    花をペイントしたスクールバスが来る。

    同じバス、このように花が描かれていた。Image by Manuel Willer from Pixabay 。

    それから4年、新生児のレインが明るく健やかに4歳の誕生日を迎えようとしている初夏、再び庭にスクールバスが乗り入れる。その年1967年、ヒッピーの活動が最も盛んになり、ヒッピーの聖地、サンフランシスコ、では「サマー・オブ・ラブ」というムーブメントが今にもその頂点に達しようとしている時のことだ。

    ヨガの1ポーズ、ヒッピーが紹介した。

    ヨガも流行った。PexelsのKoolShootersによる写真。

    1960年代、カリフォルニアに集まった若者の主張は、当時の社会に不満を持つ人や落ちこぼれた人たちの共感を得て、嵐のように沸き上がり燃え上がった。やがて急速に終焉を迎えたかのように見えた。が実際はそうではない。その時の社会がそっくり吸収したのだ、あるだけ全部を受け入れたのだ。急進的すぎるドグマは時を経て穏やかな形に変容し、今や大勢の人に支持されている。社会とはいつの世も完全さには程遠い。しかし思えば、社会とは有史以前よりずっとその時々の変化を呑み込み、その実情に合うように少しずつ形を変えながら綿々と続き、今ここに在る形となり、人々をその中にすっぽり抱(いだ)いている。

    1967年の初夏、デボラの息子たちは再び両親の家へ来た。捨てた赤ん坊のことを心配して来たわけではない。今回も息子はデボラとシェリーの摩擦の原因をわざわざ作り、それでいてその調停役をするしか能のない、愚かな男だ。

    摘んだナッツとベリーの皿。

    ナッツとベリーの一皿。PexelsのBa Tikによる写真。

    どのように高邁な原理であろうと、日々の生活が先に立つ。森で採る木の実だけでは命は繋げない。観光客の似顔絵を描くだけの収入では生きていかれない。しかも、デボラの息子は招集命令を恐れている。徴兵制度から逃れるための一計を巡らし、そのために、30歳になったら使うことができる、祖父が残した信託を前借りしたい。その依頼を父パトリックは断り、親子は分断する。

    一人で遊ぶ4歳の女の子。

    庭で一人遊び。

    4歳のレインが誘拐されたのはその直後だ。レインは幸い身代金の支払い後に無事に戻る。しかしそれから間もなく起こった第二の誘拐事件では、取引が失敗。幼い女の子は戻らない。

    この事件は金欲しさに息子たちが実行した、パトリックは密かにそう確信した。

    指定場所に置かれた現金入りのスポーツ・バッグ。

    身代金の入ったジム・バッグ。

    息子とシェリーの死後、デボラのそばを全裸で走り回ったヒッピーの申し子である((シェリーの))息子は、今、ヒッピーが訴えた強い主義主張の「現在の姿」を具現している。大きなダイナミズムを持つ社会に逆らうことなく、それでいてシェリーが教えたドグマも幾つかはきちんと受け継ぎ、この社会で胸を張って生きている。

    それはデボラとパトリックの息子が自力で到達することは叶わなかった境地だ。彼はヒッピーイズムにただ翻弄されただけ。ヒッピーとして生きて満足していたのだろうか、少しでも幸せを感じていたのだろうか。そう思いたい。そうでなければ、何のための信条であったのか、彼の生涯はどのような意味を持ったのか。

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