U is for Undertow の投稿は終了しました。これから次の V is for Vengeance の準備に入ります。しばらくお待ちください。
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    キンジー、ファッションに目覚める

    美人の代名詞、エリザベス・テイラー。U is for Undertow
    往年の大美人女優。Image by WikiImages from Pixabay 。

    自分に似合う服を吟味したり、化粧の仕方を工夫する、という女のほとんどが持ち合わせているおしゃれ意識にはほとんど興味を示さないキンジーだが、美しさに鈍感なわけではない。これまでも、美しい女には美しいと感嘆してきた(ついでながら、最初の夫を、彼よりきれいな男は見たことがない、とキンジーは彼の美を全肯定。男の美醜もわかる。もちろん、彼とは間もなく別れることになるが)。例えば、『アリバイのA』の犬の美容院で働くグェン。明るい声でコロコロと笑い、キンジーの質問に答えながら世話をしている犬にも話しかける気持ちのよい美人。別れ際に、私もあのようにきれいに歳を取れるかしら、と思いを巡らすほどグェンは魅力的。美人は着るものも素敵。その時の彼女の髪の毛の色や服の色にも、キンジーはすっかりせられる。

    『アリバイのA』の表紙

    『アリバイのA』の表紙。

    この後の、屋敷の前を走る道に彼女の名前が付いている『死体のC』の大富豪、『証拠のE』の会社社長の娘、など美人はいつでも装いも素晴らしい。いつか美人ばかり集めた記事をぜひ書こうと思っている。ついでに「いい男」の記事も。男の場合、「いい」の条件は美形かどうかではない。決定的条件は、仕事ができる、ぷらす、心がある、だ。

    U is for Undertow の表紙。

    この本、U is for Undertow の表紙。

    この本 U is for Undertow では、マイケル・サットンの姉(彼女は特に美人ではないようだが、新聞記者らしくきりりと知的に描かれている)の装いにキンジーの心が奪われる。発掘現場でも突然キンジーのオフィスに現れたときも、彼女は素敵だった。特にキンジーの心をがっちり・決定的に捉えたのが、黒いタイツとその上にはいた短い襞プリーツのスカート。その上には黒いタートルネックのセーター。何の用で来たの、と警戒しながらもキンジーの目は彼女の素敵な装いにメロメロ釘付け。これまでにこういうことは全くなかった。

    キンジーのバスルームの鏡。

    キンジーのバスルーム(のイメージ)。PexelsのKarolina Grabowskaによる写真。

    これでキンジーのおしゃれ意識が開眼したのなら(遅目だけれど)、それは素晴らしいことだ。後日、従妹のターシャとロージーのーの店で食事をする際、キンジーはシャワーを浴び髪の毛も洗って、さ、おしゃれの準備。鏡の前でタイツの次にスカート(いつ買ったのかな?2枚もあるらしいヨ)を履く。できあがると、鏡の中のその出来栄えに、よし、と頷いて店に勇んで出かける。

    化粧バッグの中身。

    それぞれ全部必要。Image by Tesa Robbins from Pixabay 。

    キンジーはお洒落に無頓着で眉毛は(もう二度と)いじらず、(きっと)産毛もいっぱい、化粧はせず、ひたすら仕事をする。そういう生き方をする女を否定するものでないが、少し心配。生き方は自由だが。一方、考えることは顔の手入れとか着る服のことだけ、眉毛はテンプレートで理想の形に整えて、目にはアイラインやアイシャドウやつけ睫毛まで施し、化粧も濃く、口紅を強く引いている、そんな若い女の子を見ると、「おいおい、この子大丈夫?」と心配になる。

    つけ睫毛。

    付属の糊で接着する。

    グラフトンにもそれに似た女性観があったのでは。きれいに見せようと多大な時間をかけることは空しい努力と考え、キンジーをそういうことから自由な女に作り上げた。キンジーに欲しかったのは、能力。風貌から見極めるその人の本質、その人の考え方の基準、その人の感情的な在りようとその振幅の幅、事象の周辺に見える正常と異常の見極め、直感、第六感、そういう見えないことを見る能力。とりわけ、人に心を寄せることができる優しさ。つまり、女だからといっていつもいつも美しさだけが求められているわけではない。女でも社会の中ではやはり、仕事の能力と他人に共感できる、が必要。

    キンジーの好きな美人。

    頬骨が高く、目が大きく、唇はふっくら。Image by inna mikitas from Pixabay 。

    ちなみに、キンジーの好きな美人の典型は:↑↑↑
    1.頬骨が高い。
    2.目が大きい。
    3.唇がふっくらしている。
    その正反対の美(目は小さく、眉毛も睫毛も薄く、唇は年齢で薄くなり、カレンダーの聖女のような穏やかな表情をしている)を見せたのが、死んだ幼女 Mary Claire の母親だった。彼女は自らキンジーのオフィスに出向いて、事件当時の様子をキンジーに細かく語った。ちなみに、この美人の両極の二人が出演している朝ドラがあった。数年前の「花子とアン」。

    [NHK 朝の連続テレビドラマ「花子とアン」、2014年3月31日~同年9月27日まで放送]

    主役の「花子」と彼女の学友の「醍醐さん」が、その両極端の美人。「醍醐さん」は文句なく美人(私が好きな美人の顔です。彼女はどのシーンもまさに一輪の花のように美しかった。姿も艶やかでまさに風に揺れる花)。「醍醐さん」を見た後に「花子」を見ると、なるほど目は控えめだ。浮世絵美人そのままで、観音様のように静かで端正な顔だ。綺麗。つまり、美人に目の大小はあまり関係なく、あくまでも全パーツの絶妙なバランスこそが決め手、と納得。二人ともとても綺麗。どちらが好きとは言えても、どちらが美人とは言えない。

    磨きをかけてくれるものの一つ、パールのネックレス。

    いつもの黒いドレスに、どうぞ。

    40歳になる前に「見た目」にも気を配れるようになり、キンジーの「女」に磨きがかかる。

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