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    WHODUNIT (< Who Done It=殺ったのは誰だ)?

    T is for Trespass の表紙。T is for Trespass

    S is for Silenceの失踪人調査でしばらくサンタ・テレサから離れていたキンジー、事件解決から数か月、すっかり元の日常が戻る。これといった事件はないまま冬の訪れを感じるようになったある日、隣人のガスがソファから落ちて動けなくなる。このときT is for Trespass の事件が静かに幕を開ける。

    第二幕復讐が終わり幕が降りる。。

    静かに幕が上がる。

    この事件は怖い。

    怒りや憎しみがある瞬間頂点に達し、おもわず近くにある包丁をその相手に振りかざすその激情の行為は、私たちにもわかる。振り下ろして相手が倒れて血を流したら、とんでもないことをした、と我に返って深く悔い、人を傷つけた罪の念におののき、恐怖のあまりその場から逃げ去ることも、自分のこととして理解できる。

    包丁立ての中のナイフ。

    そばにある包丁立て。

    でも、そうはしない。そうしないで済んでいる。そういう衝動はコントロールできるから。そういう衝動はコントロールしなくてはならない、と知っているから。

    私たちに理解できないのが、目的のために手段を選ばない非情な人間、命の尊さという言葉をその語彙の中に持たない人間、がいるという事実。私たちと同じ生活圏の中に在り、この町やあの通りで私たちとすれ違い、家の近くのコンビニでアイスクリームを買ったり、駅前のATMで当座の現金を下ろしている、一見私たちと何ら変わりないごく普通の人たちが、狡猾な心で老人をだまして金を巻き上げたり、必要な金を持っている女を言葉巧みに騙して殺す、その時の異常な状態を異常と思わずにその行為に至ること、がどうしても理解できないのだ。

    ATMの看板。

    実は私たちはそうした事態をあまりよく知らない。平均的な市民像から逸脱するこうした悪事がどれほど発生し、そうした悪人がどれほどいて、彼らはどの様な過程で生まれたのか、どのような教育を受けたのか、あまりよく知らない。が、このT is for Trespassを読み終わって一つの具体例を知ったとき、私たちはある極悪人の横顔をつぶさに見、凶悪犯罪の一端を心得ることとなる。

    探偵キンジー・ミルホーンはあまたの犯罪を見てきた。この世の中には、立場の弱い人間を狙って甘い汁を搾り取ろうとする極悪非道の人間がいること、を彼女は知っている。キンジーは緊張の面持ちでこの、T is Trespass、にある極悪人の犯罪の一部始終を顕わにし、そうすることでその由々しき問題を私たちに提起する。そして、それとはまったく真逆の、人の善を強く信じること、が最後には勝利を導いたと報告する。

    虫眼鏡で調べる女性探偵。

    いろいろ見てきた。

    スー・グラフトン著第20作目、T is for Trespass、は「誰が犯人か」を推理する物語(whodunit =名詞: 探偵小説、推理小説)ではない。これは、血も涙もない極悪人が独自の論理と感性で重ねていく悪事を、キンジーが逐一看破していく物語だ。読者は誰が悪人であるかを最初から知っていて、その悪人がじわじわと獲物から欲しいものを、奪っていく過程を最後まで追っていく(これはむしろ、How did she do it? の)物語なのである。

    黒い企みを持つ悪人。

    ガスに忍び寄る極悪人。

    これはキンジー・ミルホーン探偵事務所に来た依頼案件ではない。キンジーと生活空間を共有している隣人ガスに降りかかった災難である。悪人の好き勝手が許されていいわけがない、と決然と立ち上がる、キンジーの善意のストーリーである。しかも、彼女は命まで賭けた。

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