キンジー・ミルホーン探偵事務所が1987年の年末から翌年2月中旬までに請け負った仕事は、大小・長短たくさんあった。
大半が書類の送達・配達だ。キンジーはカリフォルニア州の送達吏の資格を持つ。この時期は大きな案件の依頼がなかったため、法的書類(出頭命令・接近禁止命令・理由開示命令など裁判所が発する書類を手交で宛てられた人に)送達をたくさん手がけることとなった。それ以外では、弁護士の依頼で交通事故の再調査を行った。個人(アパート経営者)の依頼でアパート管理関係書類を手渡しする仕事、も。
このときのそれぞれの仕事をよく見てみると、ほとんどすべてに悪人が存在する。
1.故意に衝突をして賠償金を求める。
2.故意に家賃を払わないまま部屋に住み続け、それに対して出された退去命令により退去する際に過度の破壊行為をする。
3.裁判所の調停で子供の養育費の支払いが命じられたのに、支払わない。
4.店子を追い出すために、法外な賃料値上げを敢行する。
この人たちは普段はごくごく普通の市民だ。他の普通の市民同様、人助けをすれば意地悪をすることもある。善意で満ち溢れた顔のときもあれば悪意で歪んだ怖い顔を必死に隠すこともある。ふつうは悪いことはしない。もちろん、怒り・悪意・妬み・侮蔑といった否定的な感情は生まれる。しかし、理性・教育・経験で、他人をいたく傷つけるそうした感情の発露を抑制している。
しかし、一旦その抑制の箍(たが)が外れると豹変。黒い感情が一気に噴き出し、怖い一面が剝き出しになる。さっきまでちゃんとあった常識・良識・良心・善悪の基準、といったものが瞬時に消えてしまう。いつも被っている善人の仮面が剥がれ、本能に支配された否定的で破壊的な恐ろしい顔になる。
そういう時のこの人たちは、極悪人ではないかもしれない。が、自分の行うことの結果・意味・重大性を理解している、立派な悪人だ。将棋倒しの最初の駒をツンと押して、彼らを悪人にならしめたものは何か。この人たち4人の状況をつぶさに観察して見えてくるのは、不満、という共通項だ。
その根本的な原因に目を遣ると、何とも薄ら寒い現実が見えてくる。懸命に働いているのに満ち足りていない。心に穏やかな平和がない。心が晴れやかな日はない。いつもいつも、気持ちが塞いでいる。常に時間に追われている。きょうはちょっと、休みたい。気が付くと疲労感、ぴたっとへばり付いて剥がそうにも剥がれないだろう。
そのとき彼らの内部には怒りや不満や怠慢や冷酷さや自暴自棄や自己憐憫が充満、大きなエネルギーとして飽和状態に達している。
いとも簡単に彼らは「キレる」。社会性を放棄する。「善ではない短絡的選択」をする。簡単ではないか。これはアリだったのだ。一瞬気持ちは晴れる。しかし、一の満足の陰には十の後ろめたさがあった。手に取った途端、百の満足を考え出して自分の行為を正当化しなくてはならなくなった。絶望。泥沼だ。
では、どうすればよかったのか?
答えは二つしかない。現実を受け入れ、その中で満足や幸福感を見出すのだ。見えなくなっていただけで、本当はずっとそこにあったのだから。そうしてもなお現実以上のものを求めるのなら、努力して獲得すること。こんなに簡単明瞭だ。
いい思いをしている奴らがいる、なのに俺はどうだ、こんなしけた家でまずいものを食っているだけじゃないか、などとゆめゆめ思ってはならない。彼らの現在は彼らなりの努力をして獲得したものだ。それに。
私たちはこの世に生まれ、こうして生きているだけでとても幸運なのだから。
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