こんにちは。投稿は月・水・金曜日。クリックすれば、全作一覧表が。
コメント

    隣人ガス

    疲れた老人が一人。T is for Trespass
    隣人ガス。

    そもそもこの事件は隣人ガスがソファから滑り落ち、肩と腰を痛めたことから始まる。ガスとはヘンリーの家の隣に住む独居老人。妻に先立たれ、歳と共に腰が曲がり、日々口やかましくなっていた。

    老人のやもめ暮らしはどの文化圏でも大変。日本では蛆が湧き、アメリカではごみ屋敷ができあがる。ガスの家の惨状は、救出の際にこれは人が住む環境ではない、とキンジーが強いショックを受けたほどだが、ガスの家と彼の生活の荒廃ぶりは救出翌朝の掃除(きれいな家に退院してこられるようにというヘンリーの配慮)にあたって、ヘンリーも呆然とするほど。このくだりに何と3ページを割いて、グラフトン自ら実際にそういう家をゆっくり視察したとしか思えない正確さで、混沌とした家が描写される。

    モノに溢れる部屋

    モノで溢れる部屋。

    「溢れるもの」はアメリカでも日本でも、都市であれ田園部であれ、隅から隅まで蔓延している状況だ。なにも、時々テレビでフィーチャーされるごみ屋敷の話ではない。ごく一般の家庭に起こっている現象だ。

    戦後の物がなかった家庭に、大量に吐き出される工場生産品が、居間にも台所にも10代の少女の勉強部屋にも、生まれたばかりの赤子の部屋にも、老人夫婦の家にも、無差別にどんどん入るようになってもう70年余。本、CD、コピー書類、給料袋、スーツ、Tシャツ、安物の皿、色違いのジーンズ、髪飾り、化粧品、ガラガラ、ミッキーマウスの幼児用スプーン、コレクションのフィガリン、フライパン、海外旅行の土産のカップ。枚挙にいとまのないおびただしい物品が家庭にぎっしり詰まっている。置く場所を確保そして整理・整頓するために、棚、カラーボックス、スリムなクローゼット、と救世主となるべく中・小型家具も次々と入り込んだ。

    整然と片付いたモノのない部屋。

    ミニマリズムの部屋。

    その結果、あまりにごたごたの、あまりに手狭な住空間が普通になるが、それも長期間続くとストレス源であることがわかり、今や物を持たないことがよいこと、とされるようになった。ミニマリズムの部屋はきらきらすっきり輝いて見える。その実現のための一番簡便な方法が捨てること。しかしここには大きなジレンマがあって、金を出して買ったものは捨てにくい。ので、狭い狭いと嘆きながら不用品の中でいまだに辛抱して生活している、というのが少なくても日本の一般家庭の標準の姿だ。

    これは由々しき問題だ。モノをたくさん持っているということは、所有者が死んだときに誰が片づけるか、という問題になるからだ。私が大切にしていたものも、息子や娘にとっては不要のものだ。今のこの世の中、売れば500万円はするだろう由緒正しい壺や掛け軸ならともかく、遺品や形見すら迷惑なゴミ扱いされる。

    代々伝わる木馬。

    これなら次の世代に引き継がれるだろう。

    どうする?

    自分で捨てていくしかないのだ。高かった、使っていないヨ、などとは1ミリも考えず、ひたすら、まだ必要なものともう必要でないもの、とに分別して、捨てる。その作業をしながら、思い入れの深いものには「さようなら」を言おう、その時の楽しかった思い出に「ありがとう」と言って。この作業、足腰が弱くなったらベッドの上で続けよう。最後まで残ったごく少量のものなら、息子も娘も彼らの生活の中で大切に使ってくれる。かもしれない。

    ゴミを分別する缶三つ。

    必要でないモノは分別して処理する。

    ガスの人生、そして彼の妻の人生、の全ページがそのまま詰まった家に、唯一の親戚である姪がニューヨークからやってきて、退院後のガスの生活基盤を構築すると、すっ飛んでニューヨークに戻っていく。仕事人間は、いざ自分の任務を理解すると、ヘンリーがほれぼれするほど、小気味よくてきぱきと重要な決定を下し、様々なことを手配した。社会で学ぶのは、このようにその場で一番大切な判断を素早く下す、ということなのかもしれない。

    彼女は、ガスが健康をすっかり回復するまで一か月とみて、病人の世話に当たる看護師も募集。

    82歳老人の介護者を求む。要看護師資格。委細面談。

    看護婦募集の求人広告。

    求む看護師。

    この求人広告をソラナが見つけて、ガスの家に入り込み、まずは(家にある高値で換金できるものを探す意図で)ガスの家中のゴミと不用品を短時間できれいに処分してくれた。奥さんの宝石は売られちゃったけれど、絵画は戻ってきたし、まずはよかったなあ、ガス。

    コメント

    タイトルとURLをコピーしました