T is for Trespass はソラナの悪事を暴露する物語であるが、それは同時に私たち人間の心に潜む密かな悪意に警鐘を鳴らすものでもある。この物語の中で、私たちはたくさんの悪意を見た。故意に衝突事故を引き起こした夫婦も、立ち退きの際にアパートの什器を破壊したばかりかその部屋を水浸しにした若い夫婦も、悪意をコントロールすることができず、悪人となった。

“三”戒。Andrew MartinによるPixabayからの画像。
人を傷つけてはならない。金品を奪ってはならない。物を破壊してはならない。そのように家庭でも学校でも宗教の場でも教わらなかったか。

手の中の幸せ。PexelsのAndreas Wohlfahrtによる写真。
私たちが心すべきは、自分の手の中にある幸せを慈しみ、それを育て、大切に守ること。そうすることで、心静かに、平凡な日々をあすに繋げていくことができる。そうした日々は満足感・安心感に満ちたもので、美しいもの・勇敢な行為・善の粋といった「よいもの」を見聞きし経験する最良の環境となる。そうした整った素地にあって「よいもの」が育まれてこそ、時が来たときに悪いことを悪いと言うことが、悪いことはだめと判断することが、できるようになる。
怒りや憎しみに歪み、悪いことと悪くないことの区別がつかなくなる人がいる一方、最初から、悪いことを悪いと感じない人がいる。こういう人たちとは、願わくば、この社会の中で生活行動の軌跡を交差させたくない。しかし。
彼らは遅からず現存の法の制度が戒める。
法の網を搔い潜る極悪人はきっと、自然界の摂理に悖(もと)ることで自然界の創造主の逆鱗に触れ、いずれ鉄槌を受けてこの世から姿を消す。悪が栄えることは決してない。Good guys win. (先日見たBlue Bloods というドラマの中で、ニューヨーク市警commissioner が記者会見でそう言って重大事件の報告を締めくくる)。
私たちは内なる悪意を制して、常にgood guysで在らねばならない。それが人としての道である。
そうしたメッセージを私はこの物語から受けたように思う。
物語の最後、ソラナはキンジーに大鉈(おおなた)を振り下ろそうとしていた。息子を殺された憎しみと怒りに膨れあがった極悪人ソラナ、その対極には、互いに守り合うキンジーとヘンリーがいる。キンジーは同類、とみなしたソラナだった。しかし、キンジーはソラナの理解を遥かに超えている。ソラナは、その時すぐ近くに見るキンジーが、永遠の距離の向こう側にいることに気づく。信頼で固く結ばれたヘンリーと共に。
キンジーに振り下ろした大鉈は大きく的を外れる。そのとき、ソラナの章の第二幕「復讐」、は静かに幕を閉じる。
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