こんにちは。投稿は月・水・金曜日。クリックすれば、全作一覧表が。
コメント

    ふたり

    キンジーとグラフトンがこちらを見ているS is for Silence
    ふたり(本写真は説明用のイメージで、本文とは関係ありません)

    本文のあちこちで、グラフトンが手を振ってこっちを見てと言っている、ことに私が気づくことがある。私はそういう時、グラフトンと握手をしたような気がする。とても嬉しい。楽しく執筆しながら彼女が独特のユーモアを加味し、そしてこちらを見て小さく肩をすくめるのを見ることもある。私は思わずそのユーモアに笑ってしまう、書いたグラフトンを笑ってしまう。今読んでも楽しく、小さく笑う(あちこちにあるが、“A NOTE FROM THE AUTHOR「著者からひと言」”にはユーモアが満載)。

    ユーモア以上に強くフラフトンの周波数を感じるのが、人を見るときのキンジーのすぐ後ろに感じる彼女の存在だ。グラフトン本人が、「私から社会のしがらみを引くと、それはキンジー」と言っているくらいだから、当たり前のことかもしれないのだが(この引用元は来週までに調べます)。

    花2輪

    探偵という仕事柄キンジー・ミルホーンは極めて客観的な観察を行う。観察しながら小さな情報が一つ一つ超速インプットされ、観察の主体がどういう人物なのか、急速処理の後にその結果が出てくるのだが、それを受け取るキンジーの眼差しが優しいのだ。グラフトンがそうなのだ。

    • 一瞬のうちに観察するのはまず、容貌や外見。容貌には性格の一部が現れているし、身に着けているものからはその人の嗜好や社会での立ち位置が透けて見える。
    • 次に、発する言葉。声の出し方や使う語彙、言葉の紡ぎ方、そして話し方から、外的条件の上に構築されているその人の考え方、主張、在り方、思想が導かれる。
    • さらに聞き続ければ、変更できない根本的な性格や性癖が浮かび上がってくる。

    社交が苦手、人とは一定の距離を保つ、として全作品で描かれているキンジーは、その実、人間が大好き(反応の表現が人とは異なるだけ)。だから、初めての人と会うときは、じっと客観的にその人を観察し、どういう人かを知る。

    そうして得られた出会った人々の情報が大きなデータ・バンクとなっていて、(判断までの過程でスムーズに処理できない、苦手・嫌いという主観の領域に留まらざるを得ない例外的な人物もいるだろうが)、まずは、彼女が得るその人のプロフィールはほぼ正しい。

    ピンクの花2輪

    だが、キンジーの女の観察の客観性は厳しい。グラフトンの筆致は女には、かなり厳しい。

    この本でその点が目立つのは、車のディーラーの娘の描写だ。彼女は全編を通して、つまり中学生の頃から中年になった1987年の現在まで、一貫して「醜い女・嫌な女・頭の悪い女・上品ぶった女・考え方が偏った女・自分のことだけにしか興味のない女・ひたすら自分のことをしゃべる女」として描かれる。ここまで悪く書かれるのは少し可哀そうではないか、と感じるほどに。

    何らかの形で人物紹介をしながら小説は始まる。普通の場合、ほとんどの人物紹介は単につまらない(紹介がまずい小説は小説自体もお粗末です)。でも、グラフトンの人物紹介は「読ませる」。それはきっと、よくある外的な要素と取ってつけただけの性格描写ではなく、グラフトンの鋭い観察眼と感性から必然的に紡ぎ出された予想外の描写が、目前に新しい視点を繰り広げるので、読者は飽きることなく、その登場人物を見る価値のある人として読み続けるからだ。

    花2輪

    グラフトンが女に厳しいことがある、ことへの私の理解は……。これだけの量を書くグラフトン、中には、常套句的表現に留まっているとしか思われない箇所があっても、何ら不思議ではない。ディーラーの娘もその一例なのだ。優しさは、あまり芳しくない性格の人を的確に書けない、という弱点に繋がる。グラフトンはその弱点を補填するためについ「悪い点、いやな点」の量を増やした。それが、マイナスの要素を多々持っているキャラクターを、ついついひどく書きすぎる結果となったのだ。

    さらに。鋭い観察眼から得た「その人のデータ」に基づいてキンジーは推理を進めていくのだが、その過程が犯罪の謎を解くことだけに終わらないところがキンジーの魅力だ。キンジーは共感できる人である。フォーリーの姿を見ながら、またデイジーが家族3人で住んだ家を何回も訪ねたことを思いながら、キンジーの胸が痛むのは、グラフトンの胸が痛んだから。私が20年ほどの休みを経ても読み続けるのは、この優しさが好きだから。

    こちらを見ているグラフトンとキンジー

    ふたり(本写真は説明用のイメージで、本文とは関係ありません)

    グラフトンの姿ばかりではない。ときどき私は、本文中にグラフトンとキンジーが並んでこちらを見ているような、そんな錯覚さえ覚えることがある。

    コメント

    タイトルとURLをコピーしました